サムスン電子の李健熙(イ・ゴンヒ)会長は24日、自分を相手取り財産分与請求訴訟を起こした兄、李孟熙(イ・メンヒ)第一肥料会長、姉の李淑姫氏に対し、再び強硬な発言を繰り返した。特に、兄の李孟熙氏のことを「一族から追放された存在だ」を切り捨てた。
 李健熙会長は24日午前7時15分ごろ、サムスン電子の本社に出勤した。李会長は入り口に向かおうとしたが、再び振り返り、記者団に近づいた。記者団が「李健熙会長の貪欲さが訴訟を招いたとの李孟熙氏の主張をどう思うか」と質問したのに対し「皆さんは李孟熙会長と私を『1対1』と考えているようだが、それは大きな誤解だ」と口を開いた。
李健熙会長は「あの人物は30年前に私を軍隊(軍事政権を指すとみられる)に訴えたり、父を刑務所に入れると言って、当時の朴正熙(パク・チョンヒ)政権に告発したりした。(それによって)一族から追い出された存在だ」と語った。
 李健熙会長が30年前に40代だったことを考えると、「軍隊に訴えた」との表現は、李健熙会長自身の軍隊に関する問題ではなく、1966年に当時サムスン傘下だった韓国肥料で浮上したサッカリン密輸事件後、大統領府(青瓦台)に寄せられた投書を指すものとみられる。当時、韓国肥料は人工甘味料のサッカリン約55トンを建築資材と偽って密輸したことが発覚した。この事件で、サムスングループの創業者イ・ビョンチョル氏は経営の一線を退き、次男の李昌熙(イ・チャンヒ)元セハンメディア会長(故人、李健熙会長の兄)が懲役6月の実刑判決を受けた。青瓦台への投書は、それから3年後の69年、イ・ビョンチョル氏が経営への復帰を目指していた際、サッカリン密輸、脱税、外貨資産隠しなどを理由にイ・ビョンチョル氏を朴正熙元大統領に告発する内容だった。
李孟熙氏はその後、自叙伝『埋もれた話』やマスコミのインタビューで「弟の昌熙が投書を行い、父は私が加担したと誤解したようだ」と説明した。しかし、李健熙会長は記者団に対し、投書事件は李孟熙氏が主導したもので、それによって、経営権を剥奪されただけでなく、一族からも追放されたと主張した格好だ。
 李健熙会長はまた「(李孟熙氏が)口では『長子だ、長男だ』と言うが、私を含め誰も長子だと思っている人はいない。あの人(孟熙氏)が(先祖の)法事を執り行うのを見たことはない」と強く批判した。その上で「孟熙氏は、私を『健熙、健熙』などと呼べるような存在ではない。私には頭が上がらなかった人物だ」と主張した。
 李健熙会長は、姉の李淑姫氏についても「結婚前にはかわいがられた。金星(現LG)に嫁に行き、(サムスンが金星のやっている)電子事業に参入することで、つらい思いをした。うちに来て取り乱して懇願することもあった」と振り返った。その上で「当時父は『娘はどうしてああなのか。それだけサムスン電子を警戒しているなら、サムスンの株式を1枚もやることはできない』と話していた」と語った。
 李淑姫氏は、57年にLGの創業者、具仁会(ク・インフェ)氏の三男、具滋学(ク・ジャハク)アワホーム会長と結婚した。具滋学会長は当時、サムスンからホテル新羅会長、中央開発(現エバーランド)の社長を任されるなど、義父のイ・ビョンチョル氏からの信頼が厚かった。当時はサムスンとLGの関係も親密だった。しかし、サムスンが電子産業に参入するや、両グループの関係は急速に悪化した。